先日のAbemaTVの番組で私が「倭の5王」に
言及した時のこと。
即座に反応し、
「倭の5王の頃には日本にはまだ文字が無く…」と、
ペラペラ喋り出した出演者がいた。
これには驚いた。
議論の本筋から外れるし、余りにも初歩的な無知を
晒しているだけなので、番組ではわざわざ訂正しなかった。
倭の5王の時代というのは、具体的には5世紀。
その頃に、いまだ日本に文字が無かったと信じ込んでいるとは。
無知の程度が半端ではない。
中学の歴史教科書にも、埼玉県行田市の稲荷山古墳から
出土した鉄剣の銘文を、恐らく写真入りで紹介しているはずだ。
勿論、「文字(漢字)」を活用している。
あれが471年の銘文。
まさに5世紀。
倭の5王の最後、武(雄略天皇)の時代にあたる。
というか、同銘文には雄略天皇の名前「ワカタケル大王」
そのものも記されている。
だから、5世紀に文字が無かったと言われたら、
中学生でも呆れるだろう。
これが高校生レベルになると、
「倭の5王(讚、珍、済、興、武)」が
『宋書』倭国伝に登場することも知っているはずだ。
となると当時、わが国と宋は外交関係があったと
(知識は無くても)想像できる。
シナ南北朝時代の南朝宋と外交関係を持ちながら、
文字を知らないなんて事態があり得るのか。
賢い高校生なら当然、疑問を抱くはずだ。
現に、『宋書』には倭王武から届いた上表文(478年)が
収められている。
堂々たる漢文だ。
文字が無いどころではない。
大学生レベルなら、その中身を読んだことがある人もいるだろう。
大学院生レベルになると、同上表文の信憑性についての知識も、
持っていたりするのではないか。
それが当時、日本で書かれた可能性が極めて高い、と。
他に、5世紀中頃に遡る「王賜」などの文字が書かれた鉄剣も、
千葉県市原市の稲荷台1号墳から出土している。
三重県の旧嬉野町(松阪市)の片部遺跡からは、
文字を記した4世紀前半の土器が見つかっている。
更に、3世紀の邪馬台国の時代には魏の皇帝から
卑弥呼に詔書が届き、それに礼状を返している(魏志倭人伝)。
…もう、ここらで止めよう。
中学生レベルの歴史知識も無い人が、
テレビに出演して得々と嘘の歴史を語るのは、
感心できない。